









宮本三郎 「少女」絵皿
¥519,000 税込
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宮本三郎 「少女」絵皿
サイズ
直径約28cm
オリジナル額装のため、額装のまま撮影しました。反射で写り込みがあること、あらかじめご了承下さい。
宮本三郎 「少女」絵皿は、画家宮本三郎の生涯を通じて彩られた数々の作品の中でも、エネルギッシュな時代で1960年、55歳の時に描かれた作品です。一枚の絵皿に描かれた少女の表情やオリジナルの額装。すべてに宮本先生の描く世界観が凝縮されています。
モノクロームな世界で描かれた作品ですが、繊細かつ表情豊かな筆致で描かれた少女は、見る者の心を穏やかに包み込みます。大判な珍しい絵皿となっており、置いておくだけでお部屋が美術館のような雰囲気になります。
宮本三郎 「少女」絵皿があなたのお気に入りの一枚に加わることで、日々の生活に豊かなアートを取り入れることができます。おうちのインテリアコーディネートにもぴったりです。
※手作りのため、写真と実物では色味・形状に若干の違いがある場合がございます。予めご了承ください。
宮本三郎(みやもと・さぶろう)は、1905年5月23日、現在の石川県小松市松崎町に生まれ、1935年7月より世田谷区奥沢にアトリエを構えた、昭和を代表する世田谷区ゆかりの洋画家です。
川端画学校で富永勝重、藤島武二、また個人的には安井曾太郎に指導を受け、戦前は二科展を中心に発表を行いながら、雑誌の挿絵や表紙絵の制作でも活躍。戦時中は従軍画家として藤田嗣治、小磯良平らとともにマレー半島、タイ、シンガポールなどに渡り、第2回帝国芸術院賞受賞作品《山下、パーシバル両司令官会見図》(1942年)をはじめ、数々の戦争記録画を制作しました。
戦後は、熊谷守一、田村考之介、正宗得三郎らと第二紀会を設立。生来の素描力を土台に、さまざまに画風を変えながらも、人物を主たるテーマとして制作、晩年は花と裸婦を主題にした豪華絢爛な絵画世界を構築します。獅子文六の小説「大番」の挿絵や、高峰秀子や雪村いづみなど女優や歌手を描いた作品でも人気を博しました。
1974年10月13日、腸閉塞による心臓衰弱のため、69歳で他界。生涯、画家として活躍するだけではなく、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)、多摩美術大学でも教鞭をとり、二紀会では理事長にも就任するなど、後進の育成にも尽力しました。
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